本当にあった復讐の話

復讐の話をまとめたサイトです

【94話】飲酒運転ひき逃げ

狙って、というか偶然やってきた機会を復讐に使った話
身元バレ防止の為一部フェイク入れています。
またグロい表現が多少あり長文になります。読みにくかったらすいません。

自分の母親は10年ほど前の春の夜に父親と一緒散歩途中、
飲酒運転のオッサンにひき逃げされて殺された。
家で留守番していた私は父親の「母さんが目の前で轢かれた!」っていう
絶叫にも近い電話で現場にかけつけた。
道路にブレーキ痕は全くなく車の進行方向とは逆のところに
血痕と細かい無数のガラスの破片が散らばっていた。父と一緒に母を探した。
母親はおよそ70mほど吹っ飛ばされた田んぼと水路の隙間で見つけた。
私がダメ元で心臓マッサージした。父を呼び警察・救急呼んだ。
すぐ警察と救急が到着した。ほんの数百m(本当に視界に入るぐらいの場所に)先に病院があった。
父だけが付き添いでいった。

私は残りわかる限りの状況を警察に説明していたところにフロントガラスが半壊状態の車が戻ってきた。
ソイツだった。赤ランプが大量に点灯していて怖くなって戻ってきた、といった。
前が半壊状態で前が見えないから窓を開けて運転してきた、といった。
その場でソイツは逮捕された。思わず殴りかかろうと思ったら警察にひきとめられた。

その家族(母親と2人暮らし)もクズだった。
通夜に来たとき、その男の母親と男性がきた。追い返そうとしたら玄関で土下座した。
けど言った言葉が「J●(某協同組合)に言われたから来た」
分厚い香典?の封筒をたたき返した。
(その後葬式、初七日、初盆など一回も訪問どころか墓参りや電話ひとつなかった)
男は最初懲役3年3か月と言われた
(飲酒運転で捕まった経歴があるせいなのか執行猶予はなかった。ごめん、そこらへんは記憶が定かでない)
けど上告して結局2年7か月ぐらいになった。模範囚、とかで結局は2年ちょっとで出所した。
出所してからも上記の通り一行にこちらに連絡とることすらなかった。
同じ市内で車で20分程度のとこに住んでるのにな

前置き長くなってすいません。ここからが本筋です。
私は介護施設に勤めていて現場での責任者をしている。
ひとり入所者がなくなり次の入所者予定の書類を確認していたらその中にあの親子の書類があった。


あの母親がどうやら介護認定受けたらしい。男と2人暮らしでかなり困窮しているらしくここらの
地域では一番安いところをチョイスしたら私の勤務先に偶然申し込み依頼したらしい。
生保だった即座に事務長とこにいってソイツの書類と一緒に辞表を持って行った。

洗いざらい上記の事全部ぶちまけてコレが入ったら虐待しかねない、辞めさせてくれ、と申し出た。
何故か辞表は受け取ってもらえなかった。
そしたら2日後には全く違う人が入所していた。ソイツの書類は見かけなくなった。
正直わかってたんだ。施設が私を辞めさせれない事は。
ただでさえ人手が少ない上に現場の下の者の不満を抑えていたのが私だったから。
下手に私が辞めると連鎖的に少なくとも4人近く抜けることが目に見えてわかっている状態だった。

後、ちょっとした資格持ちでそっち方面でも色々としていたので余計にやめさせ辛いだろう、と。
その後は簡単だった。その地域にある施設のほぼ8割に知人がいたので泣きながら上記の事を訴えた。
残り2割は費用がお高い施設だったので生保にはまず手を出せないところばっか。無視した。
そして2日前、民生委員から連絡があった。
電話をとったのは父親だったので聞いてみたら何かの恩赦を与えて欲しい、との事。
(そこらへんは詳しくは聞いていない)無論拒絶。
現状を聞きだしたらしく聞いたらいまだ2人暮らしで暮らしている、とのこと。
あの時の書類の内容思い出した。
生活情報のところに「酒乱」「DV」「不潔行為」「徘徊」って言葉、書いてあった。
緊急連絡先とかも息子以外は書かれていなかった。
(次の連絡先には民生委員の名前が書かれていた)

介護者としては最低の事をしたと思っているけど、後悔はしていない。
私が虐待なんぞするよりもあの2人だけでずっと惨めに暮らして
最後にのたれ死んでくれれば最高の供養と思っているので。

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