【264話】酔って暴れる父を抑え込むのは私の役目
黒い過去・・・父親がアル中だったこと。父は世間では外面の良いエリートだったが、出世競争に敗れ、アル中に。
母親にも子供達にも暴力をふるい、小学生の頃は父が帰宅するたびに怯えて心臓がバクバクした。妹はドアの音に怯えて毎日泣いた。
中学の頃、私はどんどん背が伸びてバスケに熱中していた。
ある夜、父が酔って帰宅し母に暴力を振るっていたので「いい加減にしてよ」と言ったら、父は逆上し私に襲いかかってきた。
私は無言で父の腹にボディーブローを叩きこんだ。
バスケ部のキャプテンをやっていた私は、身長でも腕力でも父を凌駕していた。
父は「ううっ」と呻いてしゃがみこみ「…親に向かって」「ぶっ殺してやる」等、弱々しく呻いていたが、私は「黙れクズ」と吐き捨てて、二階の自室に戻った。
その日以降、酔って暴れる父を抑え込むのは私の役目になった。
高校の頃、私はテスト勉強の夜食にカップラーメンを作り「美味しい~」と幸せを満喫していた。
そこへ階下から妹の「お姉ちゃん助けてー!お父さんが暴れてる」とSOSが。
父と戦っていたら、せっかくの麺が伸びてしまう。
困った私はカップラーメンを持ったまま階下へ。
いったんラーメンを置いて暴れる父と戦い、ねじ伏せた。頭の中はラーメンのことしかなかった。
だがその日に限って父はしぶとく抵抗し、母と妹に襲いかかろうとする。
私はラーメンを諦めきれず、暴れる父親に馬乗りになってラーメンを食べた。
母と妹は、それを見てヒステリーっぽく笑いだし、
「く、苦しい~ww」
「カメラ持ってきて、カメラ!」
などと騒いで、
「はい、チーズ!」
と記念写真を撮られてしまった。
珍しい写真が出来上がり、私は父の日に「プレゼント」とその写真を渡した。
酔うと記憶がなくなる父は写真を見て度肝を抜かれたらしい。
「暴れる自分に馬乗りになってラーメンを食べる娘」の姿を見て初めて父は反省。
それ以来父はAAや断酒会に参加して、酒を飲まなくなり、我が家は平和になった。
あれから10年以上たった今も、父は例の写真を「お守り」と呼んで持ち歩いている。
定期入れに入れて持ち歩き「酒が飲みたい」「一杯だけなら…」と誘惑にかられた時その写真を見ると「ダメだ、絶対飲まない」とすぐ落ち着くそうだ。
一方、私は荒んだ家庭生活や運動一色の学校生活の反動で、お嬢様学校と呼ばれる大学に入り、外ではお嬢様ぶっていた。
夫の両親は未だに私を「いいとこのお嬢さん」と思っているらしい。
父の「お守り」を取り上げるわけにもいかないが、定期入れを落としたりしていずれ人目に触れることになるだろうと思うと、気が気ではない。
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